仏つくって魂入れなかった日本の IT環境

 地球上に人類が出現し社会を形成して以来、狩猟社会→農耕社会→工業社会→情報社会という順に社会を発展させてきました。その次に続く社会は情報を言語のように操り活用する能力を皆が備えた「society5.0(ソサエティ5.0)」であり、それに対応する人材を養成するためにGIGAスクール構想が提案されました。
 これは新しい学習指導要領に対応したものです。学習指導要領には、以下のような方向
性が示されています。  子どもたちに育む学校教育の実現を目指す。 この方向性が全面的に正しいかどうかは置くとして、「よりよい社会と幸福な人生の創り手となるための力」を子どもたちに付けるという点はあらゆる教育に共通する目標でありましょう。そこで、思うとことがいくつかあるのですがもっとも気にかかる一点について、ここで述べたいと考えます。
 それは情報が行き交う社会の基盤についてです。

 日本で鉄道の営業が始まったのは明治5年(1872年)9月12日、新橋・横浜間であることは誰もが知っている事実でしょう。
 その後1874年に大阪・神戸間が開通し1877年に京都まで延伸されました。1880年には手宮・札幌間に敷設され20世紀開始までには鉄道網はほぼ全国に広がりました。
 わずか30年足らずの間に日本各地を鉄道が結んだのです。先人の志の高さとその実力には脱帽します。
 「鉄道網」である以上、一つの列車がどこでも走れなければなりません。レールの幅(ゲージ)はもちろん連結器の規格や取り付け位置も統一されていなければ意味がありません。
 現代と違い、交通手段は言うに及ばずコピー機もなく電話なども未発達な状況で、短期間で統一された規格の鉄道網を作り上げた知恵と技術と情熱は、想像を超える大変な作業だったことでしょう。

 このたびのCOVID-19 感染症の蔓延防止のために「自粛」を続けた一ヶ月あまりの機関で、私たちはいくつかの新たな経験ができました。その一つにインターネットの力があります。SNSからの情報収集、メールのやりとり、オンラインの授業の可能性も探られました。会議も呑み会までもがオンラインで可能だと気づきました。

 同時にいくつかの課題も透けて見えるようになりました。
 その一つに通信回線の容量の問題があります。回線の容量が小さ過ぎ、速度が遅くなったり頻繁に途切れたしする現象が随所に見られました。使い手の要求に対応しきれない現象が頻発したのです。
 大都市の大学などでもこのような問題が起きていました。情報インフラの整備は2005年頃から急速に進みましたが大都市圏が先行しました。また、国道沿いに光ケーブルが設置されました。そのため都市でない農山漁村や国道から離れた地域は取り残されました。中には今でもISDNが使われている地域が少なくありません。
 だれ一人取りのこさず、人々が幸福な人生を送るためには都市と地方の格差を小さくするなどの施策は重要です。残念なことに日本における通信回線の整備は、大都市と地方の格差をますます拡大する方向に誘導してしまったのです。
 僻地は公共交通とともに通信回線でも置き去りにされました。

 今回の感染症への対応ではこの「ツケ」が一気に吹き出す形になりました。自宅で過ごす子どもたちにインターネットを使ってウェブ授業をしようとしても、回線が整備されておらず、Wi-Fiも普及していない環境であることが明らかになったのです。

 どうして明治~大正の先人たちが成し遂げた鉄道インフラ構築と同じように、しっかりとした情報基盤づくりができなかったのでしょう。
 将来を見据えた計画を立てられなかった原因をここで精細に分析しておかなければGIGAスクールもプログラミング教育も、結局は絵に描いた餅で終わってしまうかも知れません。